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2018.03.29
「むかない安藤」という働き方―むかない安藤以前編―
ものをむかずに食べる活動「むかない安藤」を続けている、デイリーポータルZの安藤昌教さん。今回は、仕事と働き方の見本市「MOV市」にちなんで、「むかない安藤」という働き方を、ご自身に振り返っていただいています。題して「むかずに食べるむかない安藤ショー」。
参加できなかった!というみなさんにお届けするレポート第2弾です。今回は「むかない安藤」になる以前のお話。突拍子もない仕事遍歴がとびだします。(むかない年表編はこちら)
※以下は2018年2月24日に開催されたイベントMOV市 - Neighborland 2018 -からの書き起こしです。
ロボット好きから始まった理系の道
特許を取って、イケイケで研究
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1975年 愛知県に生まれる
どういうひとが「むかない安藤」になったのかっていうことを振り返った方が良いかなって思って、生まれた頃から考えたんです。僕、75年に愛知県に生まれました。
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2000年
理系の学部を出たんです。ロボットが好きだったんですよね。うちの近所の空き地に、ショベルカーが止まってて「かっこいい・・・」みたいな。あのアームが。それで、機械が作りたくて、機械工学を目指して、物理とかを勉強してました。
金沢大学工学部自然科学研究科機械科学専攻博士課程修了
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2000年
卒業してからは、原子力の機関、核燃料サイクル開発機構ってとこに入社して、えっとね、原子炉の設計をしていたんですね。急に「むかない」からなに言ってんだろうってなるかもしれないんですけど。笑。
核燃料サイクル開発機構(現・日本原子力研究開発機構)入社
構造力学・流体工学・新型炉の設計に従事
在籍中、高速炉原子炉容器液面近傍アクティブ制御機構についての特許取得
原子炉って、大きな風呂場みたいな容器の中に水が溜まってるのね。僕は、その容器を設計してました。金属の容器なんですけど、中身は核分裂によって熱反応が起こることで320〜350度ぐらいまで熱くなるので、金属にものすごい力がかかるんですね。その力がかかんないような設計を考えて、特許も取ったんですよ。
新しいシステムを、新入社員だったんですけど、なぜか考えて、特許の申請も通ったので、次の次ぐらいに作られるやつに積まれたら儲かるなって。まぁ、使われなかったですけど。
当時は新しい機構だとか新しい特許だとかを、どんどん取って、どんどん新しいものを作っていこうっていう流れだったんです。どんどん進歩していたときに、原発事故があったりして、止まっちゃったんですけど。その前は、すげえイケイケで研究をしてました。
複業の走り?ダンサーと二足のわらじから
全力で人を笑わせることの面白さを知る
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2003年
同時期に、氣志團っていうバンドのバックダンサーに僕、急に入ったんですね。オクトバスルームメイツっていう、「蛸壺」なんですけど。その中に入りました。
志團バックダンサー・オクトパスルームメイツに参加
原子力開発機構を退職する前に入っているのは、これ普通逆じゃない!?って思うじゃないですか。あってるんです。開発機構にいた最後1年ぐらいは並列で、週末はバックダンサーやってライブとかもやって、平日は研究所で研究して。二足のわらじでもない、よくわかんないけど、そういう生活をしてました。
そもそも、どうして氣志團に入ったかというと、僕、原子力にいたときに写真をすごく撮ってたんです。カメラ好きで。で、氣志團が、ライブスタッフを募集してたんで、写真撮れますからライブで撮らせてくださいって言ったんですよ。そしたら「OK、この日に来て」って。カメラ一式と、自分の作品を持っていったんですけど、ドア開けたら団長が座ってて、ラジカセがあって、「ちょっと踊ってくれ」。要するにダンスのオーディションだったんです。
これ、相当めちゃくちゃな話なんですけど、そのダンスのオーディションで、僕カメラを置いて、見よう見まねでダンスをやって。素人なんで、全然踊れないんですけど、なんか目立って。コイツわけわかんない、おかしいけど一生懸命やってるって、団長が認めてくれて採用に。
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2004年
氣志團って"つっぱり"のロックバンドなんですけど、団長の綾小路さんっていう人が僕をすごく気に入ってくれて「パンチパーマにしてこい」って。あの人すごく、こだわる人なので。彼らは全部地毛なんですね。「テレビに出てるときは、絶対パンチ。ズラはありえない。地毛じゃないとダメだ。」って言われて、パンチにしたんです。
核燃料サイクル開発機構 退職
パンチは別に良かったんですけど、一応、公務員なんです。人に会う仕事でもないし、研究所のドアをぱたんと閉めたら1人で研究するんですけど、とは言え、上司や同僚がいて、突然安藤くんがパンチパーマで来はじめたら、ちょっとざわざわする。
研究所なんで、年に5本ぐらい論文を書いて、学会に発表するんですよ。僕、最後の1本ぐらいはパンチパーマだったと思います。それなんかちょっと、やっぱり、公務員の感じと違うな〜って。
僕、今までやって来て、何人か尊敬できる人とか、天才だなって思う人に会ってるんですけど、氣志團の綾小路さんも天才だと思ってますし、尊敬してる。(デイリーポータルZの)林雄司も天才だと思ってるし尊敬してます。共通するところは「完璧主義者」。自分は完璧じゃないかもしれないけど、完璧を求めてるんですよ。ものすごく細部にこだわるし。めちゃくちゃ人を観察して、できてくるモノが完璧。
エンターテイメントに関しても、プライベートに関してもめちゃくちゃ厳しい人。そこは、この人から学んだかなと思います。人を笑わせるとか、面白いことをやるのに、力を入れるのは「あ、これは面白いぞ」って、その時すごく感じました。で、次の年に機構を辞めてます。まあ、どっちも面白かったんですけど、ちょっとパンチパーマだし。
すごい真面目な話、原子力の研究て、面白いんだけど、達成するのがすごく難しんいですよ。要するに僕らが、研究してる原子炉って、作らないかもしれないの。作ったとして50年後にできあがるかもしれない、っていう研究。僕ら生きててもおじいちゃん。結果がすごく見えにくいんですね。基礎研究ってものすごく大事なんですけど、ちょっと、僕には向かないなって。あ、これ「むかない」関係ないです。笑
あとは、研究所に入るとパタンとドアを閉めて1日中1人なんですね。人と接するのが好きだったので、そういうのもちょっと、向かないなと思ってました。いろいろ考えて、人と会ったり、人を笑わせたりするほうが面白いなと思って、辞めました。
いよいよデイリーポータルZに参加
理由もなく沖縄に移住
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2004年
辞めた年から、僕はデイリーポータルZにフリーランスでライターとして参加してます。「コネタ」っていうコーナーでライターを募集してたので。その前から僕、林さん、林雄司のホームページとかで、ああ面白い人だなってずっと見てたんですね。で、ライター増やすってことだったので、林さんに連絡を取って、それからずっと、13年か4年ぐらい書いてます。
デイリーポータルZにライター参加
その後、2004年か5年に、沖縄に引っ越したんです。これも特に理由は無いです。仕事もその時はライターだけやってました。特になんの当てもなかったんですけど。友だちに誘われて旅行に行ったら、すごいいいところで。全然知らない人なんですけど、すごく歓迎してくれたんですよ。それがすごく頼もしくて、ここだったらいけるなーって思って、なんの根拠もなく引っ越しました。
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2006年
で、2年後ぐらいに、宜野湾市って沖縄の真ん中くらいのところにカフェを作りました。monkey on the moonっていう、カフェと写真を展示するギャラリーを併設したところを作りまして、4年ぐらいやりましたね。そこで、やっぱり人と接することがしたいなと思ったので、写真展とかやってました。月イチぐらいで。
沖縄県宜野湾市にカフェmonkey on the moonオープン
僕は写真が好きだったので、写真展をやろうと思ったんですけど、普通の景色とかじゃあんまり面白くないなと思って、テーマを毎回だしてたんですね。で、一番反響があったのが、【UFO写真展】。僕ら、焼きそばの上にUFO飛ばしたり、そういうのをやりたかったんですけど、本物のUFO好きな人たちから連絡が来ちゃって。UFOの写真が送られてくるんですよ。これはほんとにヤバイなって思って。笑
そんな変わった写真展とか、よくやってました。
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2008年
同じ時期に結婚式で写真撮るバイトもしてました。デイリーポータル以外にも、雑誌とかにも書いて、それで生計を立ててました。デイリーポータルを続けたまま、2008年に「ニフティ」に誘っていただいたので、入りまして、10年ぐらい?2017年までなので9年ぐらいいましたね。
ニフティ入社
で、いよいよ「むかない安藤」が始まります。・・・・歴史がありますね。
理系の道に進んだことも、氣志團に入団したのも、沖縄に引っ越したことも、デイリーポータルZで書き続けていることも、すべては「興味があったらやってみる」がモチベーションになっているという安藤さん。
「その場その場で、一番自分が大事だと思うこと、一番興味があることにトライしたかった」のだそう。そうしてできあがった、むちゃくちゃ突拍子もない仕事遍歴。好きなことを仕事にしてる感にクラクラ、目眩さえ覚えます(自由すぎて)。
さて次回はいよいよ、「むかない安藤」の1日に迫ります。